北斎とジャポニズム展 プレミアム鑑賞ナイト ミニトーク
プレミアム鑑賞ナイトに参加してきました。
200人限定の鑑賞、和樂の編集長、高木史朗さんと、美術ライターの橋本麻里さんのミニトーク、ミニ画集付きとお得感満載なのに3800円。 他の展覧会もこういう企画是非やってほしい、、。
高木さんと橋本さんのミニトークの内容が非常に良かったので、メモった内容を書き起こしてみました。
展覧会の展示では、北斎が印象派の画家に与えた影響がメインの内容だったが、北斎自身はヨーロッパからどんな影響を受けたのか?
享保の改革の中で徳川吉宗は、宗教書以外の洋書の輸入解禁を行った。(享保5年 1720年)
解禁された書物の中にヨーロッパの芸術も含まれていて、ヨーロッパで発展した技法「遠近法」に多くの日本人画家が初めて触れることになった。
技術としてはよくわかってないけれど、見よう見まねで日本人画家は遠近法を取り入れ、北斎も例外ではなかった。
あと、よく理解して聞けなかったのですが、、。
北斎の「おしをくりはとうつうせんのづ」ではまだ波の表現も弱く、遠近の強弱も弱い、あの作品から「神奈川沖浪裏」に至るまでに、西洋の遠近法から影響を受けた歌舞伎の舞台演出からさらに影響を受けたのではないか?
という点もコメントされてました。 他にも、橋本さんは和樂の中で「北斎の青」という記事を連載されていたようですが、その中でも北斎の青について海外からの影響について考察されていたとのこと。
北斎が使った青は、プルシアンブルーと呼ばれる顔料。これは牛の血を原料に合成された人口顔料で日本古来のものではない。
プルシアンブルーの前には、アズライトと呼ばれる鉱物由来の顔料が使われていた。 1700年くらいから長崎に輸入され始めたという記録がある。
初めて使った日本人はずっと平賀源内だと思われていたが、伊藤若冲の絵を詳しく調べて見ると、ルリハタを描く際に使っていたことがわかった。
この頃はまだ高価でふんだんに使うことができなかった。
1830年位か中国で量産開始になり、安価で手に入れやすくなった。
この頃北斎もプルシアンブルーを使うようになった。
大量に使えることになったことによって、浮世絵にも使われるようになり、それまで美人画と役者絵が中心だった浮世絵から風景画が出てくることになった。
その風景画の巨匠が、葛飾北斎と安藤広重。 海外の新しい顔料によって影響を受けた浮世絵が風景画へと発展し、さらにそれがヨーロッパの印象派へ影響を与えるという、互いに影響しあっていく様子を見るのも、絵の楽しみ方の一つ。
これが、ミニトークの内容でした。
かなり濃い内容でついていくのが大変でしたが、プルシアンブルーの話などとてもおもしろい!
日経サイエンス2017年10月号に、若冲が使ったプルシアンブルーを再現する!という記事があるそうです。 こちらも買って読んでみようと思います!
肝心の展覧会の内容ですが、北斎から影響を受けた絵と、北斎の原画が対に並べらていたりして、ともて面白かったです。
中には、これ構図丸パクリでしょ!という絵もあったりして、、。 こんなに北斎が大きな影響を与えていたなんて知らなかった。
特に面白かったのは、北斎の富嶽36景に影響を受けたアンリ・リヴィエールのエッフェル塔36景。
富嶽36景と同じように、エッフェル塔が入った風景画だけでなく、町の人々の営みとエッフェル塔を描いていたりとても魅力的な作品でした。 富嶽36景とエッフェル塔36景の2つが同時に収録された画集とかあればぜひ買いたい!
北斎は1760年に生まれ1849年に亡くなっています。アンリは北斎没後の1864年に生まれ、このエッフェル塔36景を発表したのは1888年から1902年にかけてです。
写真技術もだいぶ発達していた時期で、風景をありのままに写し取ることができる写真と、どのように差別化するかを多くの画家達は試行錯誤していたのではないでしょうか。
歌舞伎からヒントを得たアンリの木版画も、そういう試行錯誤から生まれたものかもしれません。アンリのエッフェル塔はパリの町並みを描いているのにどこか日本的です。
自分も東京タワー36景を(スカイツリー36景?)をモノクロ写真で挑戦してみようかなと思いました。