子供は親の作品ではないですよね?というおはなし
もしかしたら自分の子供のことを、まるで自分の作品のように思ってしまう親がいるのかも知れません。
だから、子供が電車の中で騒いだり周りの子供と比べて勉強がスポーツができていなかったりすると、作品の造り手である親の責任を感じで、「もっと頑張れば、できるようになるはずだ」とか「努力が足りないんだ!」とか子供を叱責してしまったりするわけです。
つまり、子供は、作品としてまだ未完成であるという認識が前提にあるわけです。でも、違いますよね?子供は生まれた時点で、立派に完成された作品じゃないでしょうか?
親としてできるのはその作品が、みずから枝を伸ばして育っていくのを後ろから支えてあげるだけしかできないのかも知れません。
生まれたての赤ちゃんの頃は、その枝の先に壁があれば、壁を取り除いてあげます。しばらくするとその壁を乗り越える手伝いをしてあげますが、もっと成長すると自分で壁を乗り越えることができるようになるために、見守るようになります。
そこで親ができることは、壁を乗り越えるのに、何度失敗もしていい、安心できる環境を用意してあげることくらいじゃないでしょうか?
失敗して戻ってきたときに、安心できる、またもう1回、何度でも挑戦できる気持ちになれる場所を家族、仮定として築いていくことこそが親にできることではないかと思います。
子供が、自分自ら大人になろうとしているその大切なチャレンジを、決して潰してしまわないようにしたいと思います。